平田さんとちゃんと話したのは、僕が加盟している石川県の建築家有志グループでの展覧会準備で、東京に行ったときだった。彼はそのオープニングレセプションで料理を振る舞うため、遥々、石川県七尾市から呼ばれてきていた。平田さんは今をときめく県内屈指の若手シェフ。先輩に連れられ、一度だけ彼の店に食事しにいったことはある。その程度の顔見知りだった。

正確には、そのレセプションで僕は平田さんに会っていない。なぜなら、自分は設営要員だと割り切って、レセプションには出席していないからだ。華やかな会場で学術的な会話が飛び交っている頃、僕はうらぶれた居酒屋で後輩と二人、ビールを煽っていた。
アカデミックな世界観が、昔から心底苦手だった。建築や空間デザインの仕事でありながら、“建築家” と呼ばれる人たちと未だに会話すらまともにできない。「何か難しいことを言わなくては」と焦れば焦るほど、汗が滝のように流れる。そして、もう帰っていいスか…となる。
それが僕の根深いところにあるコンプレックスで、あまり人にも言えていない。こんな奴が建築界で生きていくにはどうしたらいいか、ずっと悩んできた。だからこそ、極力アカデミックな場所にはハナから顔を出さないようにしていたのだ。

「岩本さん、どうして昨日のレセプションにいなかったんですか!」翌日平田さんに呼び止められた。「ちょっと、僕の料理食べて行ってくださいよ」と、会場の裏方のほうで彼はサッと料理を準備して食べさせてくれた。レストランの料理なんて結婚式以外ではほとんど食べた記憶がない僕でも、シンプルに彼の料理は旨かった。「僕、ああいう場所がどうも苦手で…」と漏らした一言に「僕もですよ!」とまさかのレスポンス。またまた〜なんて流して雑談していたら「岩本さん、僕の家を設計してくれませんか?」と平田さんが突然真顔で切り出してきた。彼は「ワールド・パスタ・マスターズ」とやらで日本代表になるような人だ。僕とは住む世界が違いすぎる。それに最初に紹介してくれた先輩への義理もある。「僕は、あなたが住むようなアカデミックな世界の建築をつくれる器じゃないんです」と正直な気持ちを曝け出して断った。「自信がないんです」とも。

後でわかることだが、彼は自分が一度決めたことは相手が断ろうがなんだろうが、絶対に引かないし聞かない。逆境に追い込まれれば追い込まれるほど燃える。一流たる所以である。だから僕の独白にも「なおさら、岩本さんが良いです」となり、当時の僕は混乱する。ちょうど同じ頃、別件で七尾のゲストハウスの設計をすることになり、そこを手伝っていた平田さんの奥さんともやりとりすることが増えた。その案件の進行を横から見ていた平田さんから後日「移転予定の自分の店も、岩本さんにお願いしたい」と申し入れをいただく。これは、もう腹をくくるしかないと僕は思った。