「今敷地を探していて」という平田さんからの早速の連絡を受けて、ドキドキしながら最初に見に行ったのが笠師保駅の裏の物件。ロケーションはよかったけど、諸事情で結局買えず。その後も「七尾街づくりセンター」など地元の人達を巻き込みながら物件を見て回り、半年ぐらいかけて中島町塩津の海水浴場に佇む築30年の集会所に辿り着く。
資料上そこは海。海の中に建物が存在することになっている。県ですら把握できていない空白の土地―…。法規的にもインフラ的にも「ここ…できんの?」と怯む僕の横で、平田さんの目は決まっていた。「僕、ここでやりたいです」。彼の凄いところは、強い気持ちとともに、恐ろしいまでに強靭な“運”を持ち合わせているところだろう。関係者誰もが“この土地は無理だ”と諦めていたけれど、結果から言うと色々クリアできてしまった。県が把握していなくても“町の所有地”だということ、もともと海の家をやっていたため飲食業許可も下りたこと。壊滅的だと思っていたインフラは、なんなら下水も電気も通っていた。「岩本さん、僕一生分の運使い果たしたかもしれないです」と爽やかな笑顔をみせる平田さん。「じゃあ…やりますか!」。プロジェクトは本当に動き出した。
オーベルジュをやりたい。それが平田さんからのオーダーだった。「けど、イメージは湧かないです」。そう言われて、僕と平田さんはタリーズの富山店でコーヒーが冷めるまでフリーズした。正確に言うとイメージはある。ただ、それを言語化できない、ということだ。それはある意味彼の誠実さでもあって、“自分の目で見たことでしか判断ができない”のである。平田さん、平田さんの奥さん、そして僕。それぞれのイメージがすごく細い糸で繋がっているのは感じるけれど、それが何なのか明確にわからない。まずは共通言語となるイメージを探すべく、「平田さんが、今一番楽しいと思える場所に行きましょう!」と視察の旅にでた。一番遠かったのは北海道。そこでワイナリーとオーベルジュを見学した。北海道には現場監督を務めてもらう堺谷建築の中城さんにも同行してもらった。こんな仕事の仕方は僕も初めてだったけど、ここでイメージを共有できたのは大きかったと、今振り返っても思う。僕は元々工務店育ちということもあり、職人さんとがっつり仕事をやるのが好きだ。ハートを焚きつけるというか、「めんどくさいけど、楽しい仕事」と思ってもらいたいと常々心がけている。その後も現場を訪ねては「平田さん、この感じですか!」「それともこの感じ!?」と彼の脳みそへのアクセスを試み、“掴んだ!”と思ったら急にシャッターを閉められたりしながらも、ギリギリまでイメージの共有作業を重ねた。そういう意味ではこの作業は、完成後の今も続いているといえるかもしれない。