
視察旅行で行った北海道で、「岩本さん、僕は職業“挑戦者”でありたいんです」と橋を渡りながら平田さんは言った。漫画みたいなセリフだが、本当にこのプロジェクトは少年漫画みたいなエピソードしかない。ときには真剣な(そして建設的な)ぶつかり合いもあった。「いいね/いいね」の応酬だけで良いものはできない。
店舗のイメージもある程度固まってきて、CGも出来上がった頃。ランドスケープからもアプローチする必要があるだろうと、庭を担当してくれる人を探した。北陸でも色々とリサーチしたが、今回のような難題をお願いできるのは“やっぱりこの人だろう”と確信を持てる庭師が僕の友人にいて、彼を訪ねるため平田さんと山梨に向かった。

その友人がつくった、河口湖の湖畔にある菓子店の庭をみた時に、平田さんは静かに、けれど確かに、テンションが爆上がりしていた。彼の庭はどこに人の手が入っているのか見分けがつかないような庭だ。当時その店舗は移転を控えていて営業していなかったのだが、その“寂びた”感じがさらに平田さんには響いたのだと推察する。
山梨の帰り道に寄った高速道路のインターで、「平田さんはすでに何か違うものを見ている」ということを僕は薄々感じていた。数日経ってもどうしてもその様子がひっかかり「今、喋れますか」と夜中に電話をかけた。案の定、平田さんは悩んでいた。そして「一回、店のイメージを降り出しに戻していいですか」と切り出してきた。後から聞くと「山梨の庭を見て、自分の“中途半端さ”を思い知った」のだと言う。「無難な方にまとめようとしてはいないか、本気で自分がどんな店をやりたいか考え抜けているか」、自問自答を彼は繰り返していた。そしてその自問が、彼の料理の大きなターニングポイントともなるのだった。

最終的に、平田さんは「詫びているもの/寂びているもの」に強く心惹かれることがわかった。そこに作為がなく、自然や時間といった大いなる作用によって生み出された姿。「建築」という行為自体がそもそも作為的なので、「作為なく建築をつくる」というのはすでに矛盾しているが、僕はもう平田さんにとことん付き合うときめている。腹を決め、その一点を目指して直滑降で降りて行く彼の背中を、僕は必死で追うしかない。
後日談として、山梨の庭師さんには一度仕事依頼を断られているのだが、「僕、今からワイン持ってもう一度お願いしてきます!」と飛び出す平田さん。二人でむちゃくちゃ頼み込んで、なんとか受けてもらえることになった。控えめに言っても、そんなエピソードしかない。
